舞浜三丁目は約550戸の戸建分譲地として1987年(昭和62年)に居住が始まりました。5年目の1992年(平成4年)7月19日に自治会の設立総会が開かれ、108世帯で舞浜三丁目自治会がスタートしています。
発足のきっかけは、平成3年秋に「大三角公園少年野球場観覧席工事の通知」が突然配布されたことです。それから半年にわたり工事撤回運動を行い工事は中止となりました。この過程で、個々の住民の声には限界があり、街として意見をまとめることの重要性を痛感したそうです。
当時の地域新聞に掲載された初代渡邊武会長の談話によると「分譲タイプの住宅地では不動産会社の主導で自治会が作られるケースが多いが、舞浜三丁目は大三角公園少年野球場の観覧席新設問題をきっかけに、住民のコミュニケーションがはかられ、自然な流れとして自治会が作られた。」とのこと。
現在の自治会集会所は1994年(平成6年)4月に完成しました。
その後、町内には老人クラブの「マイアミクラブ」が1998年(平成9年)12月に設立され、また園芸活動サークル「舞ガーディナーズクラブ」が1999年5月(平成11年)に設立、「マイ・ストレッチ体操クラブ」が2018年8月(平成30年)に設立され、活発な活動を行っています。
防犯防災活動も1996年(平成8年)12月に自治会役員会とは別組織の「防災部」が設立され町内の自主防災の基礎を作ってきました。その後、2011年度(平成23年度)に自治会役員会内の「防災委員会」に移行し、2013年度(平成25年度)に「自主防災組織」を組織しました。2015年(平成27年)には舞浜地区3自治会で構成される「舞浜小学校避難所運営委員会」が設立され、2017年(平成29年)にはボランティアによる青色灯防犯パトカーでの「青色パトロール隊」も結成されました。自主防犯・防災活動を積極的に行い、日々街の安全と安心を守っています。
自治会設立20年を迎える前年の2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災の際には、浦安市は世界最大規模の液状化により建物・道路など大変な被害がもたらされました。当自治会内も多大な被害が発生しましたが、役員はじめ住民が立ち上がり、一体となって復旧・復興に向かって取り組めたことは、20年間の自治会活動の積み重ねによる住民同士のコミュニティと我が街に対する愛情の強さによるところが大きかったのではないでしょうか。大震災により街は大きな被害を受けましたが、自治会のその後の取り組みは「住民の強い絆」と「自治会のありがたさ」を改めて実感することとなりました。
震災からの1年間は、「震災対策本部」が中心となり、その後は2012年度(平成24年度)に「震災復復興特別委員会」が設立し街の復旧や「液状化対策なくして復興なし!」の下、市の液状化対策事業に沿って、住民の取りまとめ活動を行ってまいりましたが、2018年(平成30年)5月26日の住民説明会で市の液状化対策事業は中止となり、2018年(平成30年)12月に解散しました。
優良な街並みの維持・保全をはかるために「街並み特別委員会」が2011年度(平成23年度)に設立され、2019年(平成31年)3月29日に市内で9番目となる都市計画が決定され「舞浜三丁目地区計画」が制定されました。当初の目標が達成されたため、その後、2020年度(令和2年度)に解散しました。
2021年(令和3年)、舞浜三丁目自治会は設立30周年を迎えました。
舞浜三丁目自治会
浦安市には現在(2021年9月)84自治会が結成されています。舞浜三丁目自治会は市内53番目に誕生しました。
対象地域 舞浜三丁目
設立時期 1992年(平成4年)7月19日
加入世帯 446世帯